公開日 2023年6月20日


黎明運動

INDEPENDENCE MOVEMENT

日出づる国の独立運動 -2022年2月5日開始
第1 黎明宣言文
「早梅の二月、全国に及ぶ世紀の両刃独立運動が始まった。
一方は、1951年のサンフランシスコ平和条約にも著しく反する支配体制、つまり戦後のアメリカによる日本鷲づかみからの独立。他方は、第32代崇峻天皇の暗殺という6世紀の酷いクーデターをもって千年以上もの軍事支配体制を一方的に敷き、現在もアメリカの手先として振舞う大勢の特権維持朝鮮人からの独立。
黎明運動の開始日及び宣言は、2021年2月5日にちなみ、定められた。それは、ジョセフ・バイデンアメリカ大統領の指揮のもと、政治思想を理由に実行された活動家・阿南巌(元スイスの聖職者、2002年から日本国籍者)に対する戦闘機を使った電磁波攻撃による殺害計画の実行日であった。しかし、いと高きお方の御手がその命を守られ、奇跡的な回復を与え、この、本2022年の2月5日が、純粋に日本国民の黎明をもたらす非暴力非武力の独立運動の開始日となった。」
くまな
黎明運動の歴史的な開始宣言は越励学院院長阿南巌によって行われ、関係機関(アメリカ政府、韓国政府、国連)宛に書面で知らされた。そして黎明宣言は、数ヶ月後の2022年5月23日、すなわち、アメリカ合衆国のバイデン大統領がわが国日本の地を踏んでいた最中に六本木、虎ノ門、赤坂の路上にて、英語及び日本語で数時間にわたり、力強く行われた。
えつらい
くまな
2022年5月23日 黎明宣言時の阿南院長

赤坂1丁目の交差点にて
左は院長の長女(同越励学院事務局長)

虎ノ門を練り歩きながら
路上宣言当日の朝、院長は「私を殺害しようとしたバイデン大統領に直接の言葉がある」と駐日アメリカ大使館入口前で同大使館のセキュリティ責任者に伝えた。同人はその旨を大統領に伝え、必ず連絡すると約束した。だが、アメリカ政府からの連絡は無いまま、大統領は翌日、半開きの口と放心状態の姿で日本を去った。

六本木1丁目にて
独立運動開始までの長い道のり
第2 暗殺計画の実行 - 違憲投獄(世紀の一件)
教育機関「越励学院」と強い協力関係にある全民党は2010年の設立当初より「黎明」の言葉を用いている。13年前の名刺やのぼりなどに「自由國日本の黎明を信じて」の標語を載せて活動し、坂本直柔(龍馬)氏が切望した夜明けに向け尽力してきた。
なお、商売や己を売り込むため等自己中の枠で黎明の言葉を用いることは不適切である。


院長 出刑務所の日

千葉刑務所に投獄されていた間に院長阿南巌が
ドイツ語で書いた詩「Tagesende」(日没)。
「2314」は付されていた番号。
今回、右上の絵と共に初めて公開。
院長の二人の娘による和訳も初公開。

某刑務所内
その数ヶ月後の同年11月、自民公明安倍麻生内閣の指図により、院長(当時の姓「平元」、牧師兼教育者、当時全民党会長、活動費を得るため土木作業員として平日は現場労働)は21日の朝に、突然公衆の面前で見せしめ逮捕され、千葉県君津警察署の留置場に収容され、年明けの1月23日に、裁判も判決も無い状態で千葉刑務所に投獄された。逮捕自体が違法であったことが後に判明し、3ヶ月間の接見禁止も理性の崩壊を狙った違法なものであり、さらに、無判決投獄は憲法第31条(「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」)に著しく反した、犯罪であった。加えて、違憲投獄の日から院長には暖をとる全ての手段が禁じられた。つまり、院長は何の法的手続きもなく投獄されただけで無く、関東地方に大寒波が襲来することが予報され、そして実際に襲来したその2014年1月、2月に極寒の収容施設に収容され、法に明記された「不足(冬)の衣類の貸与」も全くなかった。外で雪が降り積もる氷点下のなか、昼夜暖房が一切無い且つ隙間風の入る古い狭い独房に、3週にわたり収容され、かつ接見禁止により家族に寒さによるその身体的苦痛等を伝えることもできないという暗く長い悪しき環境に置かれていたのである。そして、刑務所内でわずかに接する刑務官はその環境があたかも当然のものであるかのように振舞い、刑務所特有の朝晩の番号による受刑者点呼(自らに付された番号を前者に続けて大声で呼ぶ)等をもって、何の罪も犯していない院長を罪人のように扱った。
へいげん

院長が収容中に自らが収容されていた独房を描いたもの。中央は昼夜消えない蛍光灯とカメラ。
越励学院院長阿南巌(「くまな」は日本語読み/「あなん」は中国語読み)はスイス系2世として日本で生まれ育ち、スイスにて改革派の牧師となり、西洋で社会問題となっていた統一カルト(統一教会)による青年拉致事件を受け、その被害者や家族の救済に尽力し、2年後の1981年(昭和56年)に日本に戻り、父親の働きを継いだ。そして、組織作りをしない牧師兼西洋文化の道徳の専門家として教育分野で力を尽くし、千葉県富津市にて「さんび学院国際学校」を設立し試運営を含め10年以上その責任者を務めた。そして、2002年に日本に帰化する前からアメリカによる原爆投下の悪行が当時も現在もアメリカ及び西洋の道徳基盤から赦されないものであると厳しく公に批判し、アメリカの日本に対する多くの内政干渉、とりわけその代表例であり毎年日本政府に送りつけられる「規制改革要望書」の実態を2009年に史上初めて公表した。そして、2010年には同志とともに「透明で勇敢な民主主義」の実現を目指す政治団体全民党を設立し、会長としてその後にも研究結果に基づき次の重大事実を打ち出した。すなわち、現在も恥意識のない面を日本国民に披露する麻生太郎の祖父にあたる吉田茂が、1951年9月8日に日本の主権回復を意味するサンフランシスコ講和条約に署名したその同日に、つまり、世界が日本の主権回復を認めたそのサンフランシスコ講和条約が効力を帯びる日(52年4月28日)の実に半年前であるその51年9月8日にアメリカの下士官用のクラブハウスに行き、日本政府及び日本国民並びに世界の背後で、かつ、総理大臣としてではなく、一個人として、あの安保条約に署名したという悪しき史実、及び、同条約が全く違法であることを活字で公表した。真実は曲げてはならない、正義を軽んじてはならないという強い思いから社会の健全化に貢献するため、引き続き犯罪の温床やタブーを問題視し暴いていった。その中で最も隠されてきたアメリカによる忌まわしい事実、すなわち、戦後アメリカ政府がわが国に入国させ特権を与え日本社会の公職に就かせ手先として利用している在日朝鮮人の問題をも調査し、それが取り除かれない限りわが国に平和と正義の将来は無いと見定め、史実と具体例をもってこの大問題をも厳しく打ち出し、2013年に全民党の規約第2条「目的」にもそれなりの内容を新たに含めた。
くまな
詩 Tagesende の和訳
日 没
はげ枝に落ち際の陽
熱心に呼ぶ一羽の烏
だが、聴く者はない
窓の鉄格子に眺めは塀
かすかに見える上部の電流線
- 合わせて六本。
廊下から足音が、それも近づく。
頭は上げるな
なんじを呼ぶ時のみ - 無論番号で。
2314 - これがなれ 。
余計な言葉一つとて
支配すべきは静寂。
今や、外の烏も黙し、
ただ遠くで、犬の吠えるのみ。
2014年2月12日、院長は奇跡的に肺炎を患わずに出刑務所を果たした。だが、その日に押された「務所上がり」の焼印と汚名とにより、また卑怯な公安の者どもが撒きちらす偽りと誹謗中傷等により、9年間が経過した今なお、院長をはじめ父子の社会復帰は全面的に阻まれている。

2歳の時に母を亡くして以来父子家庭で育ち、高校1年生として父と姉を違法に奪われ、年末年始とその冬を過ごした院長の二女がその間に作ったもの。院長が生還した2014年2月12日まで残った。



事件後の2016年2月5日、千葉刑務所所長代理として話に応じた同所総務部長の太幡淳一は院長及びその長女に対し次の通り、直接言った。2014年(平成26年)1月23日に院長(平元巌)が千葉刑務所に投獄された事実について「法務大臣の告知で平元さんはここ千葉刑務所に入った」と証言したのである。また、同じ話において太幡は「この中に入る人には暖房の権利がない」とも言った。いずれも著しい違法不正であり、事件当時の法務大臣は谷垣禎一であった。

2014年2月12日
つまり、第二次安倍内閣は、院長阿南巌が収容中に肺炎を患い死亡するようにとその非人道的で著しく違法な収容環境を人為的に作らせ、首謀者安倍晋三総理大臣の指図を受けた法務大臣谷垣禎一がその内容を千葉刑務所に命じたのである。

2016年1月 千葉刑務所正門前にて
院長は右端、左から二人目は千葉刑務所所長代理として翌月話に
応じる太幡淳一。奥から凝視する刑務官に間も無く炎が向く。
いわゆる「変死」や「急死」で闇に葬られる刑務所内の殺人事件が止まない。
それら加害者らに公開刑を導入する必要がある。

2年前に著しく違法に受刑者の扱いを受けた院長が、何人もの被収容者を殺してきた目を持つ刑務官に立ち向かう。

相手の犬が死ぬまで
続ける闘犬。
人間も同じ目になる。
院長一家(父子三人)の懸命な調べや多くの本人訴訟と戦いを通して、親子はついに4枚の公文書を入手することができ、その前例無き4枚の公文書(在所証明書、既決犯罪通知書、訴因等変更請求書、千葉県警による答弁書)は、この想像を超えた不正の規模、及び、違憲投獄殺害計画実行事件の首謀者が安倍晋三であったこと、さらには警察組織、刑務所、法務省、検察庁、裁判所、政界、内閣が全て結託して犯した大罪と大事件であることまでをも示している。つまり、統一カルト(統一教会)のプリンスと呼ばれていた安倍晋三が総理であった間にそのカルト影響と不正とにより国家権力が、前科前歴の無い教育者兼牧師に対する殺害計画を実行したこと、及び、何の法的根拠も無く国家権力が一日本国民に対し「務所上がり」の焼印を押し、被害者一家に対し多大な罪を犯したという最邪悪の事実を立証しているため、この4枚の資料は、アメリカが敷いたわが国の戦後構造を転覆させ得る「転覆資料」である。
また、阿南父子三人がその証拠の写しとウェブサイト「仇討嘆願」の公開予告を安倍内閣に郵送した2016年7月11日の数日後、自民党幹事長となっていた共犯者谷垣禎一はいわゆる自転車事故で表舞台から消え、安倍晋三が渡米により国内に居なかった2017年9月の某日に、1年ぶりに公の場に姿を現し、突然、政界引退を発表した。
さいじゃあく
その後、この事件はその規模と内容から「世紀の一件」と呼ばれるようになった。そして院長一家はこの世紀の一件と続く被害を受け、2022年4月11日付の不備のない告訴状をもって同月、警視庁本庁に対し容疑者らを刑事告訴し、同告訴状第8に詳述の被害観点を次のように締めくくっている。
『違憲投獄を中心とするこの巨大事件の不正に関する公的機関の公式な謝罪及び被害に対する弁償が無い限り、これら多くの被害が今後も、そして半永久的に継続することが目に見えている。そして、投獄自体が刑罰の執行であることを認識しながら公的機関は告訴人阿南巌を違法に罰し、告訴人親子三人が受けるこの八年間の被害とその継続する苦しみまでもが「処罰」となっている。実に浮かび上がるのは、ナチスのあのジョセフ・メンゲレである。多くの人体実験を繰り返したこいつは被害者のその狂っていった精神状態を不気味で意外に思い、次の言葉で表現した。「危害を加えれば加えるほど、我々自身が加害者であることを被害者は信じることができなくなるように見える」。
実に、わが国の司法と法を担当する者どもはこのメンゲレ理屈によって、告訴人親子三人に対し容赦なく存分に悪行を重ねれば、あとはどうせ誰も詳細を覚えていない、とハイエナのような連携プレーを繰り返してきた。 』


群れで生息し、腰を下げて歩き、ライオンから獲物を奪う輩。老若問わず女の集団が少数を囲っていじめる時やその後に手柄を誇示し合う時の特有の不気味な笑い声のような声を闇夜に響かせ、獲物の骨まで砕き食いするハイエナ。
アメリカの実態を見破り厳しい批判の声を上げる政治団体の設立とその活動目的(規約「目的」参照)が選挙管理委員会や総務省に問題なく登録されたにも拘わらず、裏の手によって、全民党会長は違法逮捕され判決の無い状態で刑務所行きとなり、それまでの35年間の評判、信頼そして活動基盤はことごとく破壊された。かつ、アメリカの手下としての朝鮮メディアが日本の放送業を仕切っているため、9年が経過した今なお、この違憲投獄事件に固く蓋がされている。さらに、判明している通り、当時のアメリカ副大統領ジョセフ・バイデンと共謀した総理大臣が投獄による殺害を企て実行させた首謀者であったにも関わらず、警視庁本庁はその安倍晋三容疑者に対する不備の無い告訴状を違法に蹴り、もって警察組織自体による犯罪捜査規範第63条違反が発生している状況が続き、東京地検特捜部までもがわが国日本の憲法をはじめとする法に従わず、あの太った蛇に屈した。
この増す不正と実態を受け、越励学院(法人登録は投獄事件解決後に延期)は、その活動方針を(これからは)「あらゆる裏事情を露骨に打ち出す」と一層厳しいものに定め、2022年2月より新宿を拠点に、そして同年4月に路上講義活動を開始した。
